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久慈簡易裁判所 昭和36年(ろ)5号 判決

被告人 南一郎

昭五・八・一五生 国鉄職員

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実は「被告人は自動車運転免許証を有し国鉄バス久慈営業所に勤務し営業用乗合バスの運転業務に従事しているものであるが、昭和三六年三月二八日午前八時三分頃右営業所長管理に係る大型乗合自動車岩二あ九一四〇号を運転し久慈市小久慈町白山停留所から岩瀬張停留所に向けて進行させて来たところ同停留所前には約五〇人の客が車を待つており然も小学生が前面にいるのを発見したので停留所の約二〇米手前から最徐行させたがこのような場合自動車運転者としては客が車の停止しない前から先を争つて乗ろうと車に押寄せ接触することが予測されるので車を停留所の手前で停止させるか若しくは車掌を下車させて車に近よらないよう措置させる等して事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに被告人はこれを怠り漫然進行させた過失により後の客に押されて滑つて路上に転倒した町田隆(当七年)の右足首を左側後車輪で轢き因つて同人に対し全治約六週間を要する右足関節打撲捻挫の傷害を負わしめたものである」というにある。

そこで証拠を検討するに被告人の司法警察員検察官に対する各供述調書、被告人の当公判廷における供述、当裁判所の証人鈴木司郎、同中野タキ、同夏井竹志、同山田博に対する各尋問調書および当裁判所の検証調書を総合すると、

(一)  被告人は自動車運転免許証を有し国鉄久慈自動車営業所に勤務し営業用乗合自動車の運転業務に従事しているものであること、

(二)  昭和三六年三月二八日午前八時右営業所長管理に係る大型乗合自動車岩二あ九一四〇号(以下「車」という)に乗客六、七名を乗せ久慈市小久慈町白山停留所を久慈駅に向けて発車し右停留所から約三〇〇米の距離にある岩瀬張停留所を目ざし運行してきた事実、

(三) 被告人が同八時三分頃同停留所に近づいたとき同所待合室の反対側道路端に約五〇名(うち小学生が二、三〇名くらい)の客が「車」を待つており小学生等はその前面にあつて白山寄りに位置していた事実、

(四) 被告人は同停留所待合室の道路を距てて反対側にある停留所標識を目標にして同所から約二、三〇米手前から最徐行し「車」を道路の中央より稍々右側に寄せるようにして客と自己の運転する「車」と間に少くとも五、六〇糎の間隔を見込んで停車しようとして運転してきた事実

(五) かくて停車を予定した位置の約二、三米手前では右「車」は人がゆつくり歩行する程度の極めて遅い速度で時速約五、六粁くらいであつて被告人はバツク・ミラーに注意しながら徐行を続けてきたとき小学生等が「車」の乗降口の扉めがけて動揺しているのが判つたので停車の措置をとつた事実、

(六) たまたま、客の最前列にあつた本件被害者町田隆の位置していた箇所の前を「車」の左外側後車輪が通過した直後、同人はいまだ完全に停車しない前に先を争つて乗降口の扉をめがけて動揺した後方の客に押されて滑つて右足を前に出して転倒したために右足関節打撲捻挫の傷害を負つた事実

が認められる。

被告人並びに弁護人は本件被害者の傷害は被告人の運転した「車」の左側後車輪で轢いたことに基因するものであるとの検察官の主張を否認し且つ岩瀬張停留所に停車するに際して漫然進行させた事実はなく被告人には何等の過失なきものであると主張し、検察官は右傷害は被告人の運転する「車」の左側後車輪外側タイヤによつて轢かれたために生じたものであり仮りにそれが被害者が誤つて転倒したことに因るものであるとしても右傷害の事実と原告人が運転者としての注意義務を果さなかつた過失との間に因果関係があり、したがつて被告人は業務上過失傷害の責任を免れない旨主張する。

よつて按ずるに証人江田栄利に対する当裁判所の尋問調書によれば本件「車」の重量の空車で六トン八〇〇キログラム後部だけで約四トン六〇〇キログラム左後車輪にかかる重量は約二トン三〇〇キログラムであること、また被告人の司法警察員に対する供述調書および当裁判所の検証調書にすれば本件事故現場の道路は概して平垣で凹凸、勾配が少く路面には、小砂利が敷いてあり、当時路面に雪があつたが晴天で小砂利がところどころ出ており車輪の跡がつく程度であつた状態がそれぞれ認められ「車」の重量と路面の状況とを考え合せると、証人(被害者)町田隆に対する当裁判所の尋問調書中の私の足の上を車がとおつた旨の供述記載は措信し難く、また証人久保勇の尋問調書中今としては轢いたのを見たと思う気がする旨の供述記載も事実に対する認識又は記憶が不正確で措信するに足りない。証人熊谷利男の当公判廷における供述によれば本件被害者の傷害の部位に外傷はなくしかもその傷害は直接的に外力が加わつたために生じたものではなくて、「かいたつ」外力による捻挫であつて自動車の車輪に轢かれて生じたものでないことが認められ、他に右認定を覆す証拠はない。

そこで更に進んで本件被害者の傷害について被告人がさきに認定したとおりの措置をとつたにもかかわらずなおかつ自動車運転者としてこれに業務上の過失を帰せしめ得るか否かを検討するに、前認定のごとき、状況にある箇所に停車するにあたつては事故発生防止の見地からすれば停留所の手前で停車させるかもしくは車掌を下車させて「車」に近よらないように措置させる等するに越したことはないが、他面利用者の側における節度ある行動ものぞまれるし、また定時刻運転を要請される乗合自動車の交通機関としての使命に徴するときはかかる状況のもとにおける運転者としてとるべき措置についてもおのずから限度があるものと認めざるを得ない。本件の場合停留所の二、三〇米手前から最徐行し最後には時速約五六粁内外の極度に速力を落した自動車の停止直前に、たまたま後から押された客が誤つて転倒しために負傷の結果を招来するが如きは、自動車運転者にとつては予測し難い偶発的な不慮の出来事であつて、右述の如き事情のもとで自動車運転者たる被告人に対し事故発生当時被告人が払つた注意義務以上のものを期待しあらかじめ適切な処置を講ずることを求めるのは妥当でない。すなわち本件傷害の結果について被告人に業務上の過失の責があつたとは認められないし、また他に本件が被告人の過失に基くものであることを認めるに足る証拠もない。

よつて刑事訴訟法第三三六条により被告人に対し無罪の言渡をすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 中内秀)

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